この仕事につくまでのこと

23歳、洋服のスタイリストをしていた頃、原宿の竹下通りにあったアンティーク着物屋との出会い、袖を通したい衝動に駆られた。

15歳から学び始めた茶道では、お茶会で晴れの着物を着る機会はあったけど、紬などの日常の着物に触れる機会はなかった。

祖母のタンスを開けると、紬やウールの普段着物が眠っていた。
しかしどれも私には小さくて、和裁教室に通い、少しずつ直して着物生活をスタートした。

最初は、変わった娘だと思った両親も徐々に見慣れてきた。
着物での自分が日常になると、洋服を着ることに気恥ずかしい気持ちになった。

25歳、江戸千家の直門で学び初めて10年経った時、茶名(看板)を頂いた。
教えることは学ぶこと、という家元のお言葉に背中を押され、和裁教室の仲間と
行きつけの呉服屋の四畳半の茶室で茶道教室を始めることになった。

徐々に着物スタイリストに転向し、30才の頃、女優の桃井かおりさんとのお仕事
を頂くようになり、月刊momoikaoriの発行では、行きつけ呉服屋を通して着物を一から染め、誂えることに。丁度その頃、呉服屋の女将は体調不良で店が休みがちになってきた。その後跡継ぎがいないということで、店を引き継ぐことになった。

商売の家でもない私に務まるのか、振り返ると周りは冷や冷やしていたと思う。
「お客様の玄関から入れる有難い仕事よ」女将さんの言葉を思い出す。
問屋さんを始め、仕立て職人さんなど様々な方の助けがあり、今日まで続いてきた。
大好きな着物の仕事、自分でも続けてこれたのが不思議なくらい感謝しかない。

茶の湯などの伝統文化が今でも学べるのは、それを守り伝えた人々が居るからこそ。
“着物を日常に”と伝え続ける人々が増えれば、また当たり前のように、普段着としての着物が復活するかもしれない。
そんなことを考えながら、人生100年時代、茶の湯や着物、日本で生み出された和文化をもっと愉しんでいきたい。

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